暗中模索で五里霧中

しょんぼりオタOLのぐたぐだ日常ブログ

VRと現実、感情と理性、そして認識について考えたことまとめ

視覚と聴覚が私達の大部分を支配している。だから、専用の機械で目を覆い、ヘッドフォンをつけると、ゲームの世界があたかも現実のように思える。

 

VRってすごい。

 

進撃の巨人攻殻機動隊のVRを体験したことがある。
どちらも以前から大好きな作品だ。
 
キャラが生きてる。
ストーリーが重厚。
そして、世界観から目が離せない。
 
どちらも作品の「世界」も、縦横無尽に広がりを持ち描かれている。VRではその作品の「世界」に入り込んだかのような感覚を味わえる。
立体起動で空を駆ける爽快感も。
少佐の弾丸に射抜かれる瞬間の緊張感も。
「現実で起こったことに対する感情」が生まれていた。(少なくとも私の場合)
 
そうなると、「現実」ってなんだろう?という疑問に陥った。
 
私はいま「現実」で凄く理不尽な目にあっていると感じている。
たぶん、分類的には「パワハラ」に当たるのではないだろうか。
でも、暴力を振るわれたり、体を触られたりはしていない。無理矢理残業させられてるわけでも(残業をしたとしてもちゃんと手当が付く)、プライベートを侵害されてるわけでもない。
 
こちらのサイトには、「パワハラの6類型」という分かりやすい解説が記載されている。
 
その中から当てはめるとすれば「④過大な要求」を上司から受けているのだと思う。
状況にそぐわない利益を求められたり(弊社前任がミスをして以来、出入り禁止となったお客様から受注を得るよう命じられる)、一人では対処が難しいクレーム(契約は履行しサービスは受けたが、満足できなかったため、断固として返金を要求するお客様への対応)等を任せられている。
 
いやいや、それが仕事でしょ。
仕事って、理不尽なもんだよ。
若いうちは経験が足りないから、なんでも辛く感じるだけだって。
 
そうなのかもしれない。
でも、そうじゃないかもしれない。
 
私の前任者(実はよく知らない。ある日突然会社に来なくなった)は、おそらく相当いい加減な人だったようで。
引き継ぎフォルダにデータは何もなかったし、パソコンは苦情のメールでいっぱいだった。
 
私はたまたま、新卒で前任がいた部署に配属された。私が来た次の次の週くらいに前任は姿をくらまし、上司に「ひとまず」後を引き継ぐように命じられた。
まだどうなるかわからないから、他のメンバーと違って仕事が少ない君に一時的に頼むよ、とかなんとか。
 
それからずっと、終わらない後始末をしている。(尻拭いとも言う)
マイナスをゼロに戻す業務だ。
プラスにはならないから、私はいつも「もっと頑張ってよ」と言われる。
 
ポジティブな先輩は言った。
「前任がダメなやつだとさ、俺がちゃんとお客様対応すれば、ああ良くなったな、と思って信頼してもらえるじゃん?」
精一杯対応してきたけど、まだそんな奇跡は起きていない。
 
キラキラしている同期は言った。
「確かにうちの会社に不満を持ってるお客様はいるけど、何回かあって説教にもちゃんと謝ってれば、こいつは違うなって受注もらえたりするよ!」
私は『担当者が変わっても、御社とは付き合えない』としか言われたことないけどね。
 
そういった状況を訴えても、上司の要求は変わらない。
上から下りてきた売上目標を達成させること。
そのために各自頑張って仕事に励んでね。
数字のためなら、難しい仕事も引き受けて当然だよね。
 
上司も周りも「普通の要求」をしていると思っているらしい。
 
ここで2つの可能性が生まれる。
①要求が重たいと感じる私の能力が低い
→要求のレベル:普通
②私の能力は人並みだが、状況が悪い
→要求のレベル:過大 
 
つまるところ「現実」と「私の認識」のどちらが正しいのかわからなくなった。
だからパワハラかどうかの区別もつかない。
そして、大抵こういったことは、立場が弱い者が騒ぎ立てるだけで、白い眼で見られてしまう。(少なくとも弊社の場合は)
ただ毎日しんどくて、自分の心が削れていくのがわかる。元より自信がないだけに、自身を責めてしまう。
 
話をVRに戻すと、
VRで得た「ミカサが目の前にいる!」「少佐に撃たれる!」という認識は完全に間違っている。
もちろんVRだから「現実」でもない。ただ、体験中に感じた「楽しい!すごい!」という気持ちは本物だった。
 
きっと「感情」や「気持ち」だけが絶対的に正しく(噓偽りなく)、自分の心が望む方向に進むべきでは?と思ったりしたこともある。
 
このところずっと、会社を辞めたいなとか、あ〜でも失業したら困るなあ〜とか、どこに行ってもこんなもんかなあとか、あれこれ考えていた。
考えれば考えるほど、結論は出ず煮詰まっていった。
ご飯はおいしくなくなり、よく眠れなくなった。
 
終いには「生きるのって大変だなあ、もう止めにしたいなあ」とふと思い、荷物をまとめて借家から実家に送り返したりしていた。当然家族は何事かと心配し駆け付け、様子のおかしい私に対して必死に呼びかけてくれた。
 
自分たち家族は繋がっている。
お前が自分に刃を立てるようなことをすれば、それは家族全員を八つ裂きにするのと同じだ。
頼むから、自分を大事にしてくれ。
仕事なんていつ辞めたっていい。
 
その説得の甲斐あり、いまこんな風に文章を書いている。
定期的に心療内科にも通っている。
部屋には包丁も、カッターも、ガラス製の容器もない。(さすがにハサミはある)
 
結論としては
「感情」や「気持ち」は本物だし、優先させるべきだと思うが、かといってそれに従えば良いというものではない。常に「理性」が求められる。
「現実」と「自分の認識」は一致することの方が少ないんじゃないだろうか。
でもだからこそ、VRは「大好きな作品の世界が現実にあるように認識できて」楽しかった。
 
だから私は「理性」を失う前に、これ以上仕事を続けると限界だと判断したら(具体的にはハサミを自分に向けてしまったら)、辞めたいという気持ちに従おうと思う。
実を言うと、職場には良くしてくれる人もいて、今の給与や福利厚生にも未練がある。
だからと言ってズルズルと仕事を続け、挙句「理性」を失ったのでは意味がない。
 
攻殻機動隊風に言うと、ゴーストが囁くときに。
後先なんて考えずに、自ら選択の引き金をひくのだ。