暗中模索で五里霧中

しょんぼりオタOLのぐたぐだ日常ブログ

映画「この世界の片隅に」感想+近況 <普通>を生きる難しさと尊さ

映画を観に行くまで

適応障害だと診断され病休を取り、1ヶ月が過ぎた頃「この世界の片隅に」の評判を目にした。以前、このような戦争の描き方があるのかと感銘を受けた映画「夕凪の街 桜の国」と同じ原作:こうの史代先生作品で、しかも今回はアニメーション映画だと言う。観たいな~と思いつつ、身近に上映館がなく諦めていた。そんな折に拡大上映が始まり、スクリーンの前に座る機会が巡ってきた。

朝起きて、ご飯を食べて、身支度をして、日中は何かやりたいと思うことをする。そして夜は風呂に入り、寝る支度をして、きちんと決まった時間の睡眠を取る。

チケットを発券しながら、ここまで動けるようになったんだと実感した。映画館は久しぶりで、本編が始まるまで少し緊張した。

 

近況

休み始めの3週間ほどは、憂鬱が身体全体を支配していて、何も出来なかった。毎日老衰した猫のように丸まって、布団のなか、蘇る職場での辛かった記憶に苛まれながら、ろくに食べず風呂にも入らず着替えもせず、薬を飲み寝てばかりいた。
担当していた案件について、職場から何度か問い合わせがあり、それに怯えながら答える日々だった。
ところが3週間を過ぎてから、連絡はプツリと途絶え、ようやく「もういいか」と思えた。
私がいなくても仕事は回っている。
確かに周りに迷惑をかけたけど、こんなに自分で自分を責めたんだ。
ボロボロになるまで頑張ったんだ。
「もういいか、これ以上、自分の存在を否定しなくても」
それは悟りのような、開き直りのような、不思議な境地だった。
それから回復が進み、今に至る。
会社をサボッて悠々とニート暮らし。
そう言われてしまえば元の子もないが、健全にニートが出来て初めて働けるのだ。つまるところ、現在も医師の指導のもと絶賛治療中である。

 

感想を書こうと思った

話を映画に戻す。
原作は読めていなかった。
主人公役・のんさんの「普通でいられることが幸せだと思わせられる作品」というコメントを読み、早く観に行かなくてはと考えた。
観た後、久しぶりに自分の中に何かを書き残したいという衝動が生まれた。うまく言葉に出来なくても、文章が拙くてもいいから、今の私が映画「この世界の片隅にと出会って受けた衝撃を形にしたい。<普通>について書いてみたい、と。

 

感想

この作品で、人の根幹が覆される瞬間を目の当たりにし、気付いたら泣いていた。終戦を告げる玉音放送を聞いた主人公・すずが憤慨し家を飛び出し、ひとり畑の片隅で泣き喚く場面で。

一連のシーンは、彼女が耐えてきた<普通>が崩れ去る様を描いていた。劇中、すずは大きな力により変えられていく<普通>を、柔軟に、時に楽しみながら工夫を凝らし、そして時に訝しみながらも、受け入れていたように思えた。

登場する人全ての生活へ横たわっていた戦争。
誰もが何か奪われていくことが当たり前の日々。
すずは歪みを感じつつも、毎日を<普通>に生きていた。
その大前提がなくなった。
これまで辛抱してきた哀しみはなんだったのか。
国民皆兵が<普通>ではなくなるのなら、どうして沢山の大切なものを失わなくてはならなかったのか。
その嘆きと怒りの深さは計り知れない。
<普通>の下には、沢山の不条理が埋まっていた。

それでも戦後、すずは新しい<普通>を生きていく。自分の居場所である夫と、その家族と共に。
呉の、あの一軒家で。
戦争が終わった瞬間、それまでの<普通>の皮は剥がされた。不条理は単なる不条理でしかなく、暴力は単なる暴力でしかなくなった。「国家のため英霊になること」は「人が死ぬこと」へ戻った。
哀しみは薄れはしても消えはしない。なくしたものは戻ってこない。

だが、これまで<普通>を誠実に生きてきたすずには、楽しかった思い出や周囲との絆が残されている。だから絶望せずに、亡くした人達の笑顔を思い浮かべながら、前を向いて生きていけるのだろう。
この作品は<普通に生きること>を全力で肯定していると感じた。

社会に出て知ったことの一つに、大人1人が<普通に生きる>ためには沢山の金が必要だという事実がある。所得から様々な税金を払わなくては、今まで通り行政サービスを受けられない。(色々なケースがあると思うので、飽くまで私の場合)
誰かの扶養に入れないのなら、その金を稼ぐための労働は不可欠だ。
仕事で躓いた自分には、<普通に生きること>は難しく感じられた。今にも崩れそうな古い吊り橋を渡るがごとく、一歩でも踏み間違えると谷底へ落とされるイメージが拭えなかった
病休を取る直前の私は、揺れる橋の途中で引き返すことも進み続けることもできず、蹲っていた。もう疲れたと、自ら谷底へ身を投げようとも考えていた。
しかし、映画鑑賞後、その考えがいかに浅はかだったか気付いた。
苦しくても<普通に生きること>に、とてつもない価値があると示されたからだ。
押し寄せる<普通>から逃げずに生きてこそ、この世界に居場所を見つけられる。
すずだけでなく、多くの登場人物がそう物語っていると感じた。

難しくて尊い<普通>の日々を、諦めず生きていきたい。
理不尽と暴力が常に隣に潜んでいても。
私が気付けていない、もしくは無意識に見ないようにしている不条理が、数え切れない程あるとしても。

それでも地道に<普通>を生きることで、大事な人達を大切に出来ると、やがて新たな居場所が見つかると信じてみよう。

今の私にとって映画「この世界の片隅に」は、橋の向こうに見えた小さな光だった。

 

※アマゾンで原作本を頼みました。映画は原作のエピソードを全て含んでいるわけではないと知ったので、読了次第追記をするかもしれません。